話を本題にかえして…。
こうして左翼運動の夢破れ、ふたたび一念発起上京の途次、神戸に見た西洋館(「異人館」は戦後言葉)に魅せられた小松さんは、ついに終生の絵画モチーフを見出だされるのである。昭和9(1934)年8月、歳(よわい)30、まさしく「三十にして立つ」であった。
この神戸における制作活動の第一歩を印した記念碑的作品が、『神戸の印象』として残されている。
当時はもちろん戦後もしばらく、国はもとより、県も市も、西洋館の所有者を含む神戸市民の大半ですらが、一顧だにしなかったあの「異人館」のたたずまいを、描き残すことに日々精根込める小松益喜さんの画業は、やはり「野人」の仕業と言うほかない。
増田洋さんや私の考えるところ、この、「公人」ではなく「野人」の振る舞いというのは、土佐人の本領というべきものかも知れない。
「いわゆる『維新の元勲』の出身地は?」との問いに、「鹿児島・山口・高知・佐賀」つまり「薩長土肥」との答えが帰って来るが、 そのうち、高知=土佐だけが、「官」のにおいの少ないことに気付く。
「維新の元勲」のうち、高知=土佐だけが「民」風を貫き「官」に就くことを拒否したのは、以下のように例証できる。

