「いや、これがボクにあった、最上のフォームなんだ。」とかなんとか言って、ガンとしてボクの忠告に耳を貸さなかったじゃないか。1ホールに10近くも叩いて、次の客に迷惑かけてもキミは泰然としていたが、ああいう態度をキミ、度しがたい頑固というんだ。…。
美術評論家の方々は、キミの絵をあれこれ評価されるだろうが、ボクにいわせるならばだ、キミの名画は、キミのあの頑固さが生み出したもんだと、今になってそう、しみじみと思うね。…。
小磯君。キミ、この世であれだけ、好き勝手の頑固を貫き通したんだ。どうか、天国へ行ったら、少しは素直になって、安らかに眠ってくれ。…。小磯君、さよなら。
この金井さんの『葬送のことば』は、当時の兵庫近美次長=増田洋さんをして、「弔辞の傑作」「余人の追随を許さぬ斬新な小磯評」と言わしめたものである。小磯さんが亡くなられると、後を追うように翌年金井さんが亡くなられ、その六年後には、増田さんもまた六十三の「若さ」で、後を追って往ってしまった。彼もまた、神戸二中の後身=兵庫高校の出身で、小磯さんや金井さんから特別な知遇を受けた一人であったから、この「小磯人物像」をよく知る人間の早逝は、実に惜しまれてならない。