益喜を語る

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廣田生馬 和田青篁 父を想う

「強情っぱり」「名画は頑固の産物」

「小磯君は大変な頑固者」とおっしゃったのは、私の兵庫近美時代の館長=金井元彦さんであった。

金井さんも小磯さんと同い年で、神戸二中の同級。ということは、金井さんも二中を一回しくじっておられたわけだが、この方は「兵庫の神童」と呼ばれたほどの秀才だけあって、五年制中学の四年修了と同時に、官立第一高等学校(現東大教養部)へ進学し、モトを取ってしまわれる。東京帝大法科を卒業と同時に、高等文官試験(現国家公務員第一種上級職試験)に一発合格、当時の政府の最右翼省庁といわれた内務省に入省。同期中では最速のスピード出世で、四十二歳で青森県知事を拝命(当時の知事は任命制)されたから、若くして画壇の寵児ともてはやされた小磯さんの天才ぶりと、官界随一のスピード出世の金井さんの秀才ぶりとは、その点では酷似する。

小磯さんの親友として、よく詩人の竹中郁さんが引き合いに出されるが、小磯さんをして「ジレッタント(道楽者)」と言わしめる人だけあって、その生涯は金井さんとはおよそ正反対を歩まれた方であった。小磯さんを真ん中に置いてみると、「軟派」の親友が竹中郁で、「硬派」の親友が金井元彦ではなかったか、そう思えるフシがある。世の親友同士というものが、まま正反対の性格を相互に期待するように、察するに小磯さんも、ご自分にないモノを、このまったく対照的なご両人に求められたということであろう。