この『マレー前線における偵察隊の活躍』は、たしかに「戦争画」には違いない。しかし、この絵をしたたかに眺めるだけで、小磯良平さんの頑強なまでの反戦・平和思想というものが伝わってこようというものではないか。
これら一連の小磯「戦争画」が、戦後初めて公開されたのは、小磯さん亡き後の平成3(1991)年『小磯良平遺作展』(『マレー前線における偵察隊の活躍』は平成10(1998)年『没後10年小磯良平展』)。その企画は、当時の兵庫近美増田次長が著作権継承者のご遺族と相談されてのことであるが、竹中郁的表現による「哀愁をただよわせた小磯独特の反戦的『戦争画』」というものを、何としても世に出したかった増田さんの執念というものを、先に引用した「小磯良平略伝」から読み取っていただければ幸いである。
最後に付け加えれば、以上のことから強く感じ取れるのは、小磯良平さんが、反戦・平和思想の実践=左翼運動に傷つき「敗残」の身を寄せられた小松益喜さんを、敬愛するかのごとく庇護されたのは、その内に隠された敬虔なキリスト教信仰に基づく反戦・平和思想の彼の人なりの、ご自身の美術生命をかけた覚悟のうえの「実践」なのであった。それを、「覚悟」などというような大仰さを感じさせずにさりげなくなさるところが、小磯さんの人間の大きさというものであろう。
この人物近現代史が一つの目標としてきた、神戸をこよなく愛した二人の画家=小磯良平さん小松益喜さんの「特異な友達関係」。
以上の記述をとおしてご納得いただければ、この記録を公表した甲斐があろうというもの。幸せこれに過ぎるものはない。

