「赤旗」デザイナーとして、小松さんより有名扱いの柳瀬正夢さんは、『柳瀬正夢画集』所載の年譜によれば、「昭和六年十月=日本共産党に入党。『第2無産者新聞』『赤旗』に直属」とあるから、小松さんが倒れられた後のいわゆる後任者である。
ついでながら、両者の「赤旗」イラストは非常に対照的で、小松さんの方がより繊細かつ芸術的センスに勝り、柳瀬さんのは小松さんのより「戦闘的」アジプロ(扇動宣伝)描写に勝っており、当時の「赤旗」としては後者を買うのは止むを得まいという印象が強い。
そしてやがて、小松さんは、この「地下活動」の極度の緊張と過労のため倒れられ、九日間の昏睡状態の後、意識を取り戻されるが、かろうじて覚えていたのは奥さんの顔だけで、同志の顔も親友の顔も識別できぬ痴呆性記憶喪失になってしまわれる。東京では病気回復の見込みなしということになり、治療のため郷里高知へ無念の帰還をされるのである。昭和7(1932)年9月のことであった。
しかしそれも束の間で、病が癒えると、ふたたび高知県での「共産党再建運動のカド」で逮捕されることは、さきにも述べたとおりである。
小松益喜さんをして天性の絵描きと思わしめるのは、戦前の「赤旗」が主眼としたアジプロ一辺例の世界にあっても、なおかつ芸術的センスを失われなかった点にある。

