益喜を語る

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「左翼運動の後遺症」をかかえて

戦後の一時期、内田巌(新制作協会)さんたちが主宰された日本美術会所属の画家でもあり、長田の工場街で診療所経営を始め、 その後地域住民から推されて共産党の県会議員にもなったという、久留鳥さんという方も一風変わった政治家兼絵描きさんであった。

ついでながら、久留島さんは、香川師範学校を出て、小豆島の、内海(うちのみ)町字田ノ浦にあった、内海尋常小学校田ノ浦分教場つまり通称「岬の分教場」で、教鞭をふるったという、教師経験の持ち主でもある。壷井栄の映画化もされた名作『二十四の瞳』の、「大石先生」のモデルが久留島さんだというのは、あながち荒唐無稽の話ではない。

「岬の分教場初の師範出の訓導」というのは、当時久留島さんしかいなかったし、地下の共産党が指導したという全協=日本労働組合全国協議会の教育雑誌を教室に持込み、子供たちに読み聞かせて「大石先生」が謹慎を食らう場面などは、久留鳥さんそのままだからである。ただし、小説の「大石先生」は自宅謹慎だけで済んだが、モデルの久留島さんは、高松警察に送られ未決拘留生活を余儀なくされる。しかも留置場から逃亡したカドにより、大阪刑務所出獄後の昭和16(1942)年に再逮捕、当時としては左翼運動の最高幹部が収監される場所となっていた、はるかな東京豊多摩刑務所送りとなってしまう。