益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

最後の小松さんの言葉は、私が勝手に「戦後の小松さんの傑作」の一つに数えている、『陽の当る家』50号の、その絵が完成した直後、アトリエでうかがったと記憶する。この絵のモデルになった異人館は、小松さんの絵が完成するのを待ちかねたかのように、昭和四十五、六(一九七〇〜七一)年頃取り壊されてしまった。


あの大木がエノキだ。こっちにカエデ、カシ。小さい潅木は、八つ手、爽竹桃…。爽竹桃や沈丁花、キンモクセイは、その香が、木食い虫の駆除になって、木造の洋館保護の役目をしてるんだよ。西洋人の知恵というもんだ。どこの異人館にも、このどれかが植わってる。

こないだ、市役所のこの辺の管理をしてる文化財課の連中に言うてやったら、そんなことボク知りません、ぬかしやがった。異人館がかわいそうですよ。ボクほんとに、コマッチャウナァー異人館に魅せられてぇ、ですよ。…。イチジク、シュロ、それにソテツだろ。リラはこの間枯れちまったけどねぇ…。庭木の配置一つ一つやにも、この家の主人の、細心の気配りを感じないかね。…。

ドイツ人の主人が亡くなって、少しばかり朽ちかけてきたところに、何ともいえんポエジー(詩情)を感じるです、ボクは。今のこの家の主人の、日本人の奥さんには悪いけど、今が描き頃じゃわいと、ボク思うんだけどねぇ。壊れかけたとこが描き頃なんて、こらまった、失礼いたしやした。


この言葉は、例の『オバーライン氏邸』が完成するまで、何度も付合わされた、写生現場でうかがったお話である。その頃はいつも、オ氏邸西側の塀外のお宅に描きかけのカンバスを預けておられ、その家の前の路地から邸に向かって画架を立て、塀越しの写生の筆を休めずに話しかけられたことを、まざまざと覚えている。