小磯さんの奥さん、貞江さんが持たしてくれたった薬箱が役に立ってね、峠のテッペンでようよう、西村君の「名誉の負傷」の手当てをしてやった。「そらあ、国家的財産のような小磯さんの貴重な作品を運ぶ最中にケガしたんやから、『名誉の負傷』やわねぇ」なんか言いながら、これも奥さんが持たしてくれたった、銀シャリのお握り[純精白のご飯はこの頃は貴重品]で、遅い昼飯すましたんやが…。
この時分は、紀伊半島の沖合辺りにアメリカ空母がおりましてな、グラマンいう艦載機がしょっちゅう攻めて来よりましたが、ここは田舎で何もないから、六甲山頂で旋回しては、向こうの三宮や港のあたりへ急降下して消えていくのを、西村君もなんかうつろな気分で眺めてましたなぁ。小磯さんやないが、「なるようにしかならん」ボクらも、そんな投げ遣りな気分に、知らん間になっとったんでっしゃろな。…。
さあ、そっから先ほ、そないに登りはないし、たまに登ってもそうキツウないんで、ボクがカジ棒替わって引いたと思う。強力な西村君の後押しで、スイスイと下谷上までの五キロほどを運んだけど、疎開先へ着いたらもう、陽は西山に傾いていたなぁ。…。
総計五里=二十キロの道を、休憩はさんで八時間余り、あの重い大八車運んだ、ボクらを褒めてやってください。…。だれも、この話、本気にしてくれんのでねぇ…。

